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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を要約!考察も

最近、AIに関するニュースをよく見かけるようになりました。論調としては「将来AIが人間の仕事を奪う」や「今の仕事のほとんどは自動化される」などがあり、なんだか不安になりますよね。

では実際に、AIは私たちの仕事を奪うのでしょうか?もし奪うのであれば私たちにできることは何でしょうか?この点について「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という書籍を元に考察していきたいと思います。気になる人はぜひ読んでみてください。

さっそく見ていきましょう。

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著者の新井紀子さんとは?

本の内容に入る前に、著者の新井紀子さんってどんな人か気になりませんか?

簡単に説明すると「AIロボットは東大の試験に合格できるのか?」という課題を掲げて立ち上がったプロジェクトにおいて、ディレクターを務めた人です。「受験するAI」をつくろうとしたんですね。「東ロボくん」という愛称で親しまれたそのAIは、2016年にMARCHの試験に合格しました。偏差値は56.1。私立大学のほとんどに合格できる水準です。

これってかなりすごくないですか?私はこれを知ったとき、ついにAIが私立大学に受かる時代が来てしまったのか、と思いました。

AIはあくまで計算機

この受験するAI「東ロボくん」によって、様々なことがわかってきました。東ロボくんの得意な分野は数学、苦手な分野は国語です。私は歴史と数学が苦手で学生時代は四苦八苦していたんですが、AIにも苦手があるんだと思うと親近感が湧きます(笑)

ではなぜ、東ロボくんは国語が苦手なのでしょうか?著者の新井さんによると「AIはあくまで計算機であり、意味を理解することはできない」からだそうです。著書から引用します。

AIは意味を理解しているわけではありません。AIは入力に応じて「計算」し、答えを出力しているにすぎません。AIの目覚ましい発達に目が眩んで忘れている方も多いと思いますが、コンピューターは計算機なのです。

ふむふむ、なるほど!AIはただの計算機なのか!と思いますよね。でも、ここでちょっと疑問が湧きませんか?

意味を理解しないのに、どうやって問題を解くんでしょうか?会話できるAIだってあるのに、あれはどうなっているんでしょう?

この点については実はAIは、論理と確率と統計で答えを導き出しているに過ぎないのだそうです。記憶したパターンの中から反応の良いものを統計的に出してきているだけで、文章の意味を理解している訳ではないのです。

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AIは「意味」を理解できない

そもそもAIには「花子は太郎が好き」「太郎は花子が好き」という単純な2つの文の意味でさえ理解することができません。AIには、同じ要素が入っているから同じものなのでは?くらいに見えているらしいです。

私たちは、「花子は太郎が好き」「太郎は花子が好き」と聞くと、「なんだ、二人は両思いじゃん」とか「花子を好きな人は他にもいるかも」とか色々考えちゃいますよね。

でもAIは、「花子は太郎が好き」「太郎は花子が好き」という文から、二人の関係性を理解することはできません。「花子は太郎に好かれている」と受け身にしたり「Taro loves Hanako.」と英語にしたりすることはできるらしいですが、それが何を意味するのかは理解していないんです。

ということで、パターンの中から最適解を見つけ出す数学には強い、でも読解力や想像力はないため国語や英語には弱い、のだそう。

将来的に残る仕事は「人間的なもの」である

国語や英語が苦手なAIは、高度な読解や常識、人間らしい柔軟な判断を要する仕事が苦手です。

AIには「暑い」と「寒い」ですら、意味を理解することができません。暑いという感覚もないし、何度くらいが暑いのかの一般常識も持ち合わせません。

例えば同じ気温だとしても、風の強さや前日の天候などで微妙に肌感覚は異なりますよね。この感覚値をAIが会得しようと思えば膨大な量の教師データ(基準となる情報)を教え込む必要があるのですが、今のところそれは現実的ではありません。

そのため、意味を理解する必要がある職種は代替することが難しいと考えられています。

著書にはこのような記述があります(太字は筆者によるもの)。

AIの弱点は、万個教えられてようやく一を学ぶこと、応用が利かないこと、柔軟性がないこと、決められた(限定された)フレーム(枠組み)の中でしか計算処理ができないことなどです。

(略)

ですから、その反対の、一を聞いて十を知る能力や応用力、柔軟性、フレームに囚われない発想力などを備えて入れば、AIに恐るるに足らず、ということになります。

今後AIが急激に発達しても、機械的な仕事は代替される可能性が高いものの、高度な理解力や分析力が必要になる仕事は代替されにくいと考えられるのです。

著者はAIが発達すればするほど、「より人間らしい仕事」は残っていくだろうと予想しています。

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AI時代の到来で失業者が溢れる?

ただ筆者が懸念しているのは、「AIで仕事を無くした失業者を吸収することができない可能性がある」ことです。

著書から引用します。

私の未来予想図はこうです。

企業は人不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れているー。

折角、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するため、新しい産業は経済成長のエンジンとはならない。

一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかのに二者択一を迫られるー。

AIがこのまま発展を遂げていけば、17世紀の産業革命のように大変革が起こります。

今から約200年前に起こった産業革命では、街を走っていた馬車は軒並み自動車に置き換わりましたが、馬車の運転手は職を失った後、人手が不足していた自動車関連事業で働くようになったはずです。

歴史を振り返ると、2020年現在は産業革命に匹敵するくらいの大革命が起こると予想されているわけですが、AIが台頭した場合、人間に残される仕事の選択肢は「高度な数学的知能を要求されるAI的なもの」か「高度な読解力と発想力を要求される人間的なもの」だけなのではないか?というのが著者の主張です。

AIに仕事を奪われた場合、これらの仕事をできればいいのですが、かなり難易度が高い気がします。AIに任せた方がコストが安く、出来も良い、となれば仕事に就きたくても就けない「大量の失業者がでる」かもしれないのです。

ただ、個人的には意外と大丈夫なのではないかなと思っています。仕事が大量にAIに代替されたとして、その時はまた新たな需要が産まれる気がします。産業革命時代に生きた馬車の運転手は、まさか自分が運転する馬が車になるなんて思いもしなかったはずです。馬から車に変れば、関連の仕事がどんどん派生します。道路を作る人、信号を作る人、車のアクセサリーを作る人、さらにそれらの商品の物流を担う人、廃棄物を処理する人などなど、挙げればキリがありません。

そういう歴史を考えると、高度な仕事しか残らないというのはちょっと極論かなと思います。

まとめ

ここまでの本の内容をまとめます。

  • AIはあくまで計算機である
  • AIは意味を理解することができない
  • 将来的に残る仕事は「人間的なもの」である

ということです。

今回は『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』から将来の働き方を考察しました。結構ショックな内容も多かったのですが、今後の流れを考える上で必読の本だと思いますので、一度読まれることをおすすめします!

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東京で夫婦二人暮らし。30代在宅フリーランス。Webライター、ブログ運営歴7年。サイト売却経験あり。"豊かな暮らしを作る"をモットーに買ってよかったモノ、やってよかったコトなどをご紹介しています*おかげさまで累計50万PVを超えました。いつも読んでいただきありがとうございます!
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